ヒップホップ音楽の可能性|Y's Recordsオフィシャルサイト

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2024.02.27
日常
ヒップホップ音楽の可能性

ヒップホップの音楽とは

ヒップホップといえば、「ミュージック」「ダンス」「ファッション」「ストリートアート」と、これまでどのような関わりを持ってきたかによって、上記のような答えが返ってくると思いますが、どれも正解です。

ヒップホップは、今から遡ること半世紀。アメリカはニューヨークのスラム街を拠点とし、主にブロック・パーティに参加していた黒人たちが生み出した文化の総称です。

当時の貧しかった若者たちが、お金をかけることなく楽しむ方法を編み出した結果、流れる音楽に合わせて、自由に言葉を発し、ダンスを踊るようになりました。

ラップ、ブレイクダンス、ダボッとしたカッコイイ着こなし、ニューヨークの建物や地下鉄の落書きをも含め、ヒップホップと呼ばれています。

ヒップホップ音楽の歴史

海外のヒップホップ音楽

1970年代のアメリカはディスコミュージックの全盛期。しかしディスコに行けない若者たちは、公園に集まるようになりました。

それがブロック・パーティのはじまりです。ジャマイカで生まれたサウンド・システム(大型スピーカー、ターンテーブルなど)が持ち込まれ、パーティを盛り上げるパーソナリティ(MCやDJ)が活躍するようになり、ヒップホップ音楽が生まれました。

そこでクール・ハーク、アフリカ・バンバータ、グランドマスター・フラッシュというカリスマDJが誕生。ヒップホップ黎明期を支えたのです。

1979年には、シュガーヒル・ギャングの「Rapper’s Delight」がリリースされ、200万枚というスマッシュヒットを記録し、ヒップホップ音楽が世界的に注目されることになりました。

1982年には、グランドマスター・フラッシュが「The Message」をリリース。これが強い主張をラップに載せて歌うスタイルの礎となった作品と言われています。

日本のヒップホップ音楽

日本初リリースのヒップホップ音楽は、1981年にYMOが発表した「Rap Phenomena」だといわれています。

Zeebra率いるキングギドラ、ラッパ我リヤといったヒップホップグループが結成された1990年代、多くの若者にヒップホップが受け入れられました。

きっかけはイーストエンド×ユリの「DA・YO・NE」とスチャダラパー×小沢健二「今夜はブギーバック」の2曲で、ミリオンセラーを記録し、日本でもヒップホップは不動のものとなったのです。

2015年から約5年放映されたテレビ朝日の番組「フリースタイルダンジョン」で繰り広げられた即興ラップバトルで、ヒップホップの人気は再燃したといえ、現在も呂布カルマやR-指定らが、日本のヒップホップシーンを牽引しています。

こんなヒップホップだからこそ魅了される

ヒップホップが誕生した当時の経済状況は苦しく、娯楽不足に不満を感じていた若者たちが社会に対して自由に音楽やダンスで自己表現をしてきたとされています。

フリースタイルという7文字が象徴するように、楽譜に縛られることなく自分の想いをリリックにして、自由に音楽に載せて表現できる。

正解がないヒップホップの世界、そしてそこから出てくる予想外の刺さる言葉に多くの人たちが癒され、心を掴まれているのです。

Lil Hakのヒップホップ

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